特筆たる強靭な筆者に惹かれて

はじめまして

最近みつけたこのはてなblog
Twitterで話題となる記事が大抵ここのサービスであると思い始めてみるという安易な思いでこの文を綴っています

なにが面白いかといわれればとても真面目なところでしょう
毎回拡散され広まるblogというものは筆者自体はとても真面目
問題=魅力とするならそれは題材の目の付け方にあるのではないか、と推測される
どうやらこのblogで筆を進める強靭なユーザー達は実にユニークで如何に語源のボキャブラリーがあるのか、が目に見えてわかってしまうということにある
それは拡散の数にしろ、評価の数にしろなにかしらの他人の「反応」があるからこそ価値の生まれるこの情報社会である

しかし、ここまでひとを惹き付けることをそうやすやすとできるものではない
それはSNSを体験したことある者なら誰もが一度は思うこと

まずは反応をくれるという心優しきユーザーを探さなければいけない
これに関してはまず自分の中で一番ボキャブラリーの多いジャンルで攻めなければならないということだ
つまりネタが尽きればノックアウト

ジ・エンド

であるだろう

攻めるのであればつねに学び続けなければならない
それは人生常に勉強、という言葉が出るのも頷けることであろう
しかしながらいくら好きなこととはいえ、生きていくためには時間もお金も場所もいる
これはどのジャンルにしてもある程度伴う試練でしかない

働かざる者食うべからず
学ばぬもの評価得られず

字数がおなじだけだが内容はさほど変わらない気もする
評価を受ける彼らが消費しているのは己の情報量を維持するための収集力
わたしの好きなダイソンの掃除機ばりな収集力を持っているのだろう

Twitterにすんでいる私からすればデマも飛び交うこの情報世界でいかに正しいものを速く手にいれるかが鍵になるのではいか、と推測される
このご時世誰でも調べるのは片手間すら感じなくなってきている
皆同じようにスマホを開きスワイプで資料に目を通すよりも速く求めるものを見つけ出しクリック
こんな小さなデバイスでそんな早業を繰り出すのは日本人だけだろう
ましてやこの裕福な国である
他国なら小学生に持たせるどころか購入すらままならないではないだろうか?
しかし、この日本はどうだろう
年端もいかず文字を手で書くのも時間がかかってしまうであろう少年少女たちはしかしこのネットで活字をよむことは容易くできるのではないのだろうか?

ここまで幼少期から活字への特訓を余儀なくされる現代において活字離れは著しくもボキャブラリーの幅は多いに広まっているものと思われる

それは運命的に面白く惹かれる筆者も出てくることは頷けるだろう
果たして私はそこまでの実力はないだろうが何故か登録したのだ
少しずつ筆を進めていこうじゃないか

それでは今回はここまで
仕事にいこう…(遅刻