十人十色と孤高の作者

十人十色
それは人間一人一人の価値観や思いをまさに正しく表した言葉ではないかとおもう。

昨今の現代において「空気を読むことは大切である」というのはよもや当たり前のこととなってしまっているこの日本で、だれもが「当たり前」を正しいと思い「奇抜な思想」は虐げられるものとなってきている。

たしかに人を傷つけたりすることはもちろんいけないしそれは奇抜というより過激と表現すべきではないだろうか?

奇抜というのは主に「なんだかよくわからないけれどちゃんとみればすごい」というものではないだろうか?

例を挙げるならきゃりーぱみゅぱみゅという人をいまや知らない日本人はあまりいないだろう。
奇抜なファッションで原宿系「かわいい」を世に知らしめた日本を代表とするような女性である。
さて、そんな有名人である。
SNSで検索しても公式アカウントで登録されている彼女はもちろんそこでも多大なる影響を及ぼすのは目に見えてわかるだろう。

そんな彼女の呟きのなかでこんなものをみつけた
https://twitter.com/pamyurin/status/691570000037982208
内容はお馴染みラブライブに登場するキャラクター「南ことり」をロック画面にしているというもの。
本人は何のキャラクターかわからないが「可愛い」と評価している。

呟き自体はいたって普通。
問題なのはそこではない。
これに寄せられるコメントが私には多いに理解できないのである。

まず誰かわからない、とコメントしている彼女への返答。
これはとてもわかるし、当然、というか普通のやり取りであるだろう。
これに対して彼女も引用RTで「ふむふむ」と理解を示している。

次が属にいう「ラブライバー」と呼ばれる言わばファン達の罵声であった。
正直二次元を同じく住みかとしている私としてはとても悲しい気持ちになった。
ここまで世界に影響を及ぼす彼女が「かわいい」と評価しているにもかかわらずにわかなどと言葉をなげかけるというのはいただけない。

そもそも「にわか」とはなんなのか?
意味は「一時的な様」または「物事が急に起こる、突然」という意味を持つ。
つまり「にわかファン」とよばれるものは「流行りから急にファンになった」もしくは「流行りでそれを知りのめり込んだ」というものである。

さてここで彼女のツイートに戻ってみよう。
どうだろうか?
ファンの前にまず「誰かわからないけど可愛い」と呟いている。
この時点でまずファンどころかにわかとかどうでもよいとだれでもわかるのではないだろうか?

そもそも誰しもがいろいろなアイコンを使用しているTwitter
自撮り、好きなアイドル、景色、自作etc...
皆それぞれ「良い」と思わなければ自分のアイコンにはしないだろう。
それは携帯ロック画面においてもそう。
それぞれが「良い」と評価しているのだからそれでいいではないか。

確かにさく作品を知らず使われていたら憤怒するのも少なからずあるかもしれないが、にわか、と表現するのは正直間違いだろう。
現代の日本人の日本語の使い方はかなり間違った方向に進んでいる。
ましてや相手の評価に対し発言する場合はとても注意しなければならないのだ。

なによりも、無断転載は良しとし、キャラクター名が解らないだけで悪とするのはお門違いではないだろうか?
もちろん作画者は皆に評価され良いと思われてこそ喜びを感じる、が、決して勝手に使ってほしい、というわけではない。

そしてそのコメントに対して発せられるのはもちろん彼女のファンである。
いわゆる二次元を快くは思っていない人達が大半を占めるであろう。

私はあまり、普通の歌手や芸人にはもっぱら関心はいかない。
あちらからいわせれば私とてにわかなるものにはなるだろう。

だがよく考えてほしい。
すべてにおいてそれは当たり前なのだと。
怒るようなべきことではない。
十人十色なのだ。
人それぞれ、それが当たり前。
そんなことよりもそれを考え出す彼女や作画をする絵師、動きをつくるプロデューサーや監督、命を吹き込む声優。
皆それぞれが作者であり孤高の存在である。
本人達は決して他を貶す訳ではなくそれぞれを「生かし、人々を喜ばせる為に作り上げる」のだ。

そんな作者達の努力の固まりをそれを愛したファンはどう大切にしていくかが課題となるのではないだろうか?



ちなみにオリキャラ溺愛のわたしは早く風邪をなおす事が先決だと思われるためこの辺で筆をおかせてもらう